お酒の飲み方、人は何故酒を飲むのか

「人は何故酒を飲むのか?」これは人間にとっては永遠の課題かもわかりません、日本では元々、大自然に神を見出し敬いお酒、お神酒をお供えして、それを共に頂くことで神の霊力を分与されるという信仰が最初だと言われています。

人は折々に酒を飲みます、歌にも文学にも取り上げられています。でもよくよく観察してみると酒の飲み方も時代や環境と共に変わっていることに気づかされます。酒と人の関係について考えてみます。

皿鉢料理と献杯、オトーリー

高知では冠婚葬祭等宴会の料理は「皿鉢料理」です。大皿に、刺身、寿司、組み物(大人から子供まで食べられるもの)をのせるのが基本です。

元々は質素なものが多かったようで、例えば同じく皿鉢料理が残っている、愛媛県南部には丸ずしという郷土料理があります。これはおからやイワシ等の大衆魚を使います、高知の柚子味噌や佃煮も同じです。

身の回りのものを使い、最大限美味しくなるように努力してきた結果が、現在郷土料理と言われるまでになってきたのでしょう。

酒は、基本ハレの日に飲むものでした、1年中働かねばならない生活が、僅か数十年前まで、特に農家では当たり前でした。そんな生活の中、ハレの日、冠婚葬祭や地域の祭りの時の宴会には、男も女も子供も楽しみ、ご馳走を食べ、お酒を飲み、日頃の心身の疲れを癒す必要があったのでしょう。

そのためには大皿で、誰もが食べられる日持ちのする料理を盛りつけた皿鉢料理が最適であったのだと思います。女性の手間も省けるし、ゆっくりとご馳走が食べられる、休憩ができるということです。

酒を飲む時の風習ですが高知では「献杯」という飲み方があります。普通は目上の者から目下の者に盃を差し出すのですが、高知では上下は関係ありません。自分の杯を持って参加者全員に注いで回って、とりあえず終わりです、そこから腰を落ち着けて飲み始めます。

県民性の違いだとも言われますが、誰もが納得する説は無いようです。私見ですが、長らく「遠流の地」であったことが影響しているのではないかと考えています。遠流の地の宴会で身分の上下を言っても仕方ない、千年前の土佐日記の描写のように、子供まで飲んで千鳥足で踊るということも本当にあったのではないかと考えています。

大盃に酒をなみなみと注ぎそれを順番に回し飲む習慣が残っている地域があります。それにより地域や組織への帰属意識、団結力を強化する意味があると言われます、沖縄の飲み方オトーリーを連想しますが基本的に同じでしょう。

神々に無事を祈る、日頃の心身の疲れを取る、組織への帰属意識を増すというのが当初の目的、効用で、それが時代と共に変化してきたのでしょう。

飲み方の変化

酒の種類も質も、飲み方も時代と共に変わっています、戦後の成長期には今のサントリーの宣伝部にいた故開高健さん達が「人間らしくやりたいな」などという名文句で安酒を宣伝していました。サラリーマンはサービス残業もいとわず懸命に働き、夜は共に安酒を煽っていましたが、明日は今日より豊かになると誰もが確信し、その通りになっていた時代でした。

その時期に私の田舎、高知県の山間部の大人達は密造酒を楽しんでいました。都市部のサラリーマンほどの現金収入は無く、重労働の疲れを密造酒で癒していました。私は当時小学生でしたが、税務署との戦いや、「密造酒は止めましょう」のキャンペーンはよく覚えています。

今は上司の一声で、全員で飲みに行く事は無くなり、女性も飲むようになり、お洒落で高級な店で飲むことも増えてきたようです。親しいグループ、仲間内で飲むことが中心になっています。親しい者同士で飲むなら、自分たちのペースで美味しく呑めるし、二日酔いになることも無いでしょう。飲まれる酒の種類は増えたが全体の出荷量が減少しているのも納得できます。

国による飲み方の差

この事に興味を持ったのは、2019年に初の海外旅行でポルトガルへ行った時のことでした。「リベイラ広場」というフードコートが有名ですが、中央部がフリーの食卓、その周囲に飲食の店が多数並んでいます。

観光客が昼間から軽食や、地元の魚料理等を肴にビールやワインを楽しんでいました。じっと観察していると多分地元の人だろうと思える人もいました。

私は「昼間の酒は飲まない」ことにしています、でもここでは多くの人が、当たり前に昼酒を楽しんでいました。実は私の地元高知市にも同じようなフードコートがあります、ひろめ市場という名前で観光名所にもなっています。小規模ですが形態や昼間から酒を飲んでいる者がいるのは全く同じです。それを真似て同じような施設を設けたと例もあったのですが、失敗し撤退しています。失敗の原因は「県民性の違い」と言われていますが、それだけか否かは分かりません。

ヨーロッパはアルコールの消費量では世界でも最大の地域ですが、その社会的ルールは日本より格段に厳しいようです。日本のように公共の地、例えば公園で花見をしながら酒宴をするのは厳しく禁止されているとのことです。アメリカでも同様らしいですが、飲酒運転の事故には刑事罰が下されるとのことで、飲む人の権利だけでなく、飲まない人の権利も確保されているということでしょう。当たり前ですが、国が違えば飲み方も違うということです。

終りに

私の郷里高知の飲食習慣等から酒の飲み方ついて考えてきました、最初は神様、お神酒から始まった。豊かになるにつれそれが、庶民にも広まってきた。農業中心の社会では、年中休み無しの重労働が当たり前であり、心身の疲れを取るためにハレの日から宴会、酒宴が盛んになったのでしょう。地域への帰属意識の高揚の意味もあったが戦後の高度成長期には、その地域が会社に代わっていったということでしょう。そんな歴史が、酒飲みに比較的寛容な社会を作ってきたのだと思います。

今は社会も働き方も大きく変わりつつあります、多様化、グローバル化が実現しつつあります。四国山地の田舎でもアジアからの技能実習生を見かけることが当たり前になってきました。仕事を含めどういう風に意思疎通を図るのでしょうか、お酒も共に飲むのでしょうか。

外国の人と飲む機会が増えれば、何故人が酒を飲むのかということももっと理解できてくる気がします。私も外国の若い留学生二人と飲んだ経験があるのですが、美味しく食べ、飲み、日本や日本酒を楽しむ点では共通だと感じました。 古希間近になると、祖母の姿を思い出します。祖母も今の私と同じ年齢の頃、我が家へ遊びに来て昼間は畑仕事を手伝う、父が止めても「私はこれが好きだから」と体を使い、夕食時には父に勧められるままお酒をお猪口に2杯だけ美味しそうに飲む、それ以上は「私にはこれで丁度、満足」と切り上げる。ふと河島英五の歌の文句を思い出しました。今時点での私の結論です、人は何故酒を飲むのか、それは充実した1日へのご褒美、人生の潤滑油、人生が主、酒が従です。充実した一日を過ごし美味しい酒を飲みましょう。

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